«前の日記(2007-06-17) 最新 次の日記(2007-06-20)» 編集

N.* D.* E.* frozen beach

更新しません。

Next Diary Extended

文献関係はアマゾンアサマシエイトへのリンクになっています。あさましいのが嫌いな人はご注意ください。

割と最近のつっこみ:


2007-06-18 [長年日記]

白田さんの演説

http://anond.hatelabo.jp/20070617215938

近くでやっていた(というか職場その3ぐらいだ)ので行こうかと思っていたが、その前のイベントが長引いて疲れたので行かなかったんだけども。撮影にいった部隊から「白田さんが熱かった」と聞いていたので内容を探していたらこんな演説が。

熱いなあ。

僕はまあ、そもそも著作権がどうして創作活動のインセンティブになるのかわからないという疑問がそもそもの始まりで著作権とは何かについて知り始めたので、はなからいってみりゃセクトで純粋培養されたようなものなのである。

今更ながらセクト外の人と話すと、なんだか創作活動のインセンティブとしての著作権というファンタジーがシンプルに信じられていたり、知的創作物に対する独占権がナチュラルに認められている、もしくは独占権がある状態すら認識されていないというような事実についてあんぐりしてみたりするわけなんですけども。

なんかさー、日本に置けるモダンの克服であるとか、前工業化社会における共産主義革命であるとかと似たような話になるのかもしれないけど、

  • そもそも一般社会レベルで独占所有権としての著作権という認識が薄い(前近代)
  • のだが、一足飛びに「著作権の強化」が必要であるというコンセンサスを作ろうとする動きが出る(後期資本主義社会への突入)
  • 前著作権社会における著作権概念の一般普及と、著作権の強化もしくは克服という後期著作権社会的課題が同時に発生する

すると例えば情報処理で著作権の授業をすると、「著作権という概念があってそれは今認められているので尊重すべきであるが、強化するにせよ変更するにせよ、果たして著作権という概念をどうすべきかは再考が迫られている」といった内容にならざるを得ない。

「共産主義革命のためには前工業化社会の工業化と革命的精神の農村への普及を同時に進行する必要である」だとか、「日本における脱近代を行うためには同時にプレモダンな人々の近代化を今更やりつつ考えなきゃいけない」であるといった、わけわからない状況が発生しているような気がするのであった。


過去テーブル

一部解放中

tdiary以前

tdiary以後

2003|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|