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割と最近のつっこみ:
4日分余ってます。だれか買ってください。
そういうわけで、関東近隣で乗りつぶしてない数少ないうちの一つ、飯田線に乗ってきた。
メモライズ。
年なので、ムーンライト信州とかでは寝れませんでした。183系は懐かしかったけどあのシートで寝ろってのはある意味ボックスシートより酷です。足のばせないし...747のエコノミー以下...
辰野をまわってくんないので飯田線の始発に乗れません。仕方ないので松本まで行って、朝5時に松本城まで行って帰ってきました。松本は記憶にあるよりこぎれいな街になってました。
コインロッカー前で寝袋で寝込んでいた山男の集団はなんですか。
なんで旅先まで来て朝から松屋に入ってるですか。
飯田線北部はたいへんお日柄も良く美しい南アルプスの山々でしたが眠かったので途中から記憶がおぼろげです。
40パーミル勾配は確かに勾配でした。
119系は東海色は格好悪いです。スカイブルーに戻してください。
伊那も飯田も通り過ぎ、天竜峡で乗り換えです。8分の間に天竜峡の川を確認して帰ってきました。谷でした。
天竜峡すぎてからは確かに川が綺麗でした。
中部天竜まで行ってやっと落ち着きました。
中部天竜の佐久間レールパークはなかなか保存車両は面白いのですが、中に入れてくれる車両が限定されていて悲しいです。クモハ52乗りたい...。でも新幹線0系の運転席の下というか前のまんまるの後ろというかに入れて感動しました。がらんどうでした。
実は「涼しい山間の谷」を期待していたのですが特に中部天竜はクソ暑かった。
時間があまったので有名な秘境駅、小和田まで戻りました。確かに駅から大きい道に接続はしていないのですが、割と駅が立派なので秘境感には欠ける感じがしました。もう一駅の方が感じありそう。
小和田から中部天竜に戻る列車だけ115系だった。渡らずの橋はホントに渡らずの橋で感動しました。
中部天竜からトロッコ列車で湯谷温泉まで。やっぱ外気が気持ちいい列車ってのはイイネ! ビールうまいよ! EF58はキライじゃないけどやっぱED62あたりが牽いてほしいけどね!
湯谷温泉。河原で足浸して、蕎麦食って、日帰り温泉施設で風呂。風呂はいい。
最後の列車。豊橋まで。朝中野でて、岡谷から6時間乗りっぱなしっていう中年夫婦とボックスに同席する。おれでもやんねえぞ。
豊橋着。飯田線は確かにプチ旅にはよろしい。でもたぶんもうのりつぶしはしないだろう。暑いのがよろしくない。北か南どっちかだけでいいよ...
豊橋で7200系の転職先を確認する。
なんで旅先まできて夕食エクセルシオーレですか。
豊橋から浜松まで劇込みの313系快速(末端全駅停車)で立つ。どうせ立つなら一緒なので運転席後ろに立つ。東海道線は高規格だなあ...
浜松からは座れて寝入っていたが、途中二回ぐらい花火大会客でラッシュ時のようになっていた。4両じゃ乗れないって。
それにしても静岡県は長すぎる。
沼津で品川行き最終に乗り換え。これで最後だ!
藤沢でなんだか腹がへったのでたんつーめんに一人でいってメシ食う。
かえる。
つかれた。腰が痛い。楽しかったけどリフレッシュになってない気がする。
朝ちょっとダルかったんで横になってたら寝坊した。久しぶりだ。
昨日夜中にぼーっと考えていて気づいたのだが、僕が生まれたときまだ敗戦後30年経っていなかったのだ。
僕は敗戦と今とのちょうど真ん中あたりで生まれたんだなと。
30年経てばそりゃー社会も変わるよなと。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20050816k0000e030023000c.html
中国人がイケイケで日本人が楽観的過ぎるのであろうか。
http://openblog.seesaa.net/article/5827825.html
JIS2004は追いかけてなかったんですが。
なんか、文字コード決める前に、「文字コードに採録する文字のポリシー」に関するJISのメタ規格決めたほうがいいんじゃないだろうか。
ところでWindows Vistaで一番期待しているのはフォント。
胃が弱っているのか、最近コーヒーがあまり飲めない。
コーヒー飲まないと嗜好品がほとんどない私としては、コーヒーが飲めないと気分転換材料が本当にないのですが、なんかいい案ないでしょうか。
http://3voor12.vpro.nl/3voor12/binders/index.jsp?portals=2534202&binders=22880895
なんかいっぱい聞けてすごいよ!
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0608/15/news014.html
わーいわーい
って喜んでいいのかよくないのか...
まあbetter than nothing だろうきっと。
http://googleblog.blogspot.com/2006/08/free-citywide-wifi-in-mountain-view.html
うーん...
まあ、もちろん東京では仮にGoogle様でもたぶんできないんですよ。町広すぎるからね。でも例えば長野ならなんとかなんじゃねえの、とかさ。
最近友人宅にLivedoor Wirelessが入るようになったから有線やめちゃおうかなという話を聞いたり、こんな記事を読んだり、Locky.jp がなんか流行ってるらしいよとか聞いたりしつつ無線LANについて考えるのだった。
最近朝の連ドラを見ていて戦争経験者の母と不思議がっている事があるのだが、いくらなんでも第二次大戦による状況進展が早すぎないだろうか?
主人公(あおいタン)の許嫁が招集されるなりかなり突然行方不明になるんだが、出征した兵士が死んでるか生きてるかもわからないっていう状態になるのはかなり戦争末期で各方面連絡取れなくなってからですよねえ。味噌の配給制開始は1940年か...これは合ってるのかなあ。1942年の本土空襲より前にガラスを目張りしているのは何か変なような気がするんだけど...そういうもん?
戸隠で民俗資料館にこの百年ぐらいの米価一覧表が載っていて、改めて戦後3年ぐらいのインフレのもの凄さに驚いた。という話を母にしたら、「だからインフレって私はスゴク怖いわー」と言っていた。しかしそれを知っているはずの今の老人世代の貯蓄率はなぜこんなに高いんだろう。
ところで何が申したいのかと言いますと、日本がした決定的に失敗に近い決断はたぶん日独伊三国同盟だと思うのですが、これが1940年。で、終戦が1945年。サンフランシスコ講和条約が1951年。
こうしてみたときに、たった5年あれば、世の中滅茶苦茶に変わってしまうという事があり得るという事の怖さだ。
加藤紘一事務所の放火は、意図はまだ公表されていないとはいえ、まあだいたいそんなところなんだろう。今日が、薄ら寒いイヤな世の中の感じを、決定的にイヤな世の中に変えてしまった日とならない事を祈る...ってまあ祈っててもしょうがないんだけどさこういうことは。
一部解放中
⇒ takaoka [ほしい。。。けど乗る時間がない。。。]
⇒ とおやま [記念にどうですか]
⇒ 通りすがりの同窓生 [麻●のワンゲルか山岳部だったりして>山男]
⇒ モーリ [いつまで使えるんだっけ?<重蜂切符]
⇒ とおやま [9/10]